
広島、上空600メートル
1945年8月6日、ここで何が起きたのか
章ごとに約1分の語りが、その場所で流れる iPhone アプリの物語です。
歩く前に、あの朝のこと。
これから歩くのは、広島市の中心部を南北にたどる、およそ800メートルの道です。
1945年、昭和20年8月6日、午前8時15分。人類が戦争で使った最初の原子爆弾が、この街で炸裂しました。
最初に立つのは、骨組みだけを残した原爆ドームです。爆心地のすぐそばで、それでも中心部が崩れなかった建物。なぜ崩れなかったのか——その答えは、あの骨組みの前でお話しします。
そこから南へ歩くと、その一発が何をしたのかが、時間の順に現れます。2歳で被爆し、外傷もなく元気に育った子に、9年後に起きたこと。石のアーチの下に納められ、80年たったいまも増え続けている名簿。そして、日本の記念物としてではなく、人類共通の記念碑として世界遺産になった建物。
慰霊の場です。静かに、ゆっくりと歩いてください。最初の一歩を踏み出したら、まず、あの骨組みの前に立ってみてください。
ドームから、南へ一直線に。
広島電鉄「原爆ドーム前」電停から歩きはじめ、章の順にめぐります。
番号の順に歩きます。現地では、アプリが次の章まで道案内します。
4つの章
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01 ・ 駅から徒歩2分原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)
げんばくどーむ1945年8月6日 8時15分橋を渡った先に、その10年後のことが待っています。
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02 ・ 前の章から徒歩5分原爆の子の像
げんばくのこのぞう1955年 — 9年後に来たもの南へ歩くと、名前が納められている場所があります。
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03 ・ 前の章から徒歩3分原爆死没者慰霊碑・平和の灯
げんばくしぼつしゃいれいひ・へいわのともしび1952年から、いまもその正面に見えている建物が、最後の章です。
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04 ・ 前の章から徒歩2分広島平和記念資料館 本館
ひろしま平和記念資料館 ほんかん1996年 — 人類共通の記念碑
その場所に立つと、聴こえる。
空を、見上げてみてください。この骨組みの、ずっと上。高さおよそ600メートルのあたりです。1945年、昭和20年8月6日、午前8時15分。米軍のB29爆撃機が投下した人類史上初の原子爆弾は、地面ではなく、そこで炸裂しました。爆心地は、この建物から南東へおよそ160メートル。広島市が「至近距離」と記す近さです。いま目の前にあるこの建物は、そのとき、すでにここに立っていました。名を、広島県産業奨励館。丸い屋根をいただいた、産業製品の展示施設です。爆風と熱線を浴びて、大破し、全焼しました。それでも、中心部は崩れませんでした。爆心地から160メートルで、なぜ立っているのか。
つづきは、アプリで。第1章は無料です。
所要・料金・行き方
- 起点
- 広島電鉄「原爆ドーム前」電停から徒歩約2分
- 所要
- 徒歩約0.8km・資料館の観覧を含めて約2時間(外観のみなら約1時間)
- 拝観料
- 主要な記念碑はすべて無料。資料館の展示観覧のみ任意で有料(大人200円ほか)
Sources寺社・自治体などの公式資料にもとづくノンフィクションです。
広島市 公式サイト(原爆ドームの歴史) / 広島市 公式サイト(FAQ 原爆ドームはなぜ崩れずに残ったのか) / 広島市 公式サイト(01爆心地) / 広島市 公式サイト(平和記念公園めぐり 原爆で失われた街・中島地区をたずねて) / 広島市 公式サイト(折り鶴と「原爆の子の像」) / 広島平和記念資料館 常設展示(3-2-7 一人の被爆少女の死) / 広島平和記念資料館(碑めぐり解説 16. 原爆の子の像) / 広島市 公式サイト(原爆死没者名簿) / 広島市 公式サイト(平和記念施設保存・整備方針) / 広島市 公式サイト(原爆関係の慰霊碑等の概要) / 広島市 公式サイト(原爆ドーム・世界遺産) / 広島市 公式サイト(FAQ 原爆ドームはいつ世界遺産に認定されたのか) / 広島平和記念資料館 公式サイト(施設概要)